A Letter from kirie

【11時頃によく更新!】はじめまして。よく来てくれました。ぜんざいのおいしいお店をご紹介くださいね。

人と人の会話している間の空気とか感じ雰囲気っていうのは

 

他人に伝えたり、活字にすると

 

とても色々なものがそぎ落とされてしまう。

 

いいものでもよくない場合でも。

 

 

いい例がニュースだし、新聞の見出しだ。

 

 

「戦争すればいいんだ」発言や

 

「子供は3人は産むのがのぞましい」とか

 

その部分だけ切り取られてしまうことは多々ある。

 

切り取り。

 

 

切り取られた言葉は、また別物として周囲に受けてに印象を操作されるために

 

生まれ変わる。

 

そういったことの繰り返しで、日本人が大好きな

 

「森を見て、木を見ず」な状態だ!

 

と紛糾する。

 

みんな、批判するのが大好きなようだ。

 

・・・批判や反対というのは、一番容易に出てくるからだろう。

 

でも、解決に至るには代案を出せとも言われる。

 

すると、ぐぅと黙る。

 

 

伝えるのは難しいと思う。

 

時間をかけて、手技を加えて、相手に真意を伝えるのは

 

どうしてもこんなにさまざまなんだろうか。

 

真意を伝えたところで、それが100パーセント相手に理解されるわけでもない。

 

ところが、人類はそれを止められない。

 

SNSがこんなにカオスに巨大化し、トークアプリが盛んになるのは

 

結局、なんだかんだで構ってほしい相手がスマホの画面のそのワールドワイドで

 

繋がった電話線の先の受信先にいるからだろう。

 

つまり、人は一人で生きていられない。

 

空に向かって一人で叫び続けるわけにも、フォロー者がいないインスタを

 

延々と自己満足のごとくあげ続けることは出来ない。

 

見てほしい相手がきっといる。

 

10数人いるうちの1人へ。

 

一人じゃ、面白くないと思ってしまう生き物だから。。。