【3月7日土曜日】おとなになることについて考える
こんにちは。
昨日は、「啓蟄」でしたね。
春にむけて、虫たちがうごめきはじめる時節。(当たってますか?)
私の心も俄かに、さざなみが立つような気配があります。
この日記にも以前書きましたが、立春を過ぎたあたりから何かが変わっていきました。
いくような感じと手ごたえがあったのは、24節季を気にし始めたせいだからでしょうか・・・。
5月で37歳になるのですが、もう結構オトナの年齢です。
大人になるとは、なんてことだろう。
希望や夢にあふれていると思っていた若い時分をここから冷静に眺めたとき、
なぜもっと経験値をあげなかったのだろう、もっと汗をかいておかなかったんだろう。
大人になるのは、なんて苦しく滅私な気分なのだろう。と思います。
別にいまのままでもいいかもしれません。
40代、60代で私の目から見ても幼稚な大人はいます。
この事実に気づいたとき、自分もああなるかもしれない可能性があるのだ、と思います。心の修行を行わなかったとき、おそらく、みっともない幼稚な老人に自分はなるのだろう、と思います。
それは、いやです。
不思議ながら、33歳あたりから妙な変身願望が芽生え、日々、考えることに
自分をどうやって制御出来るか、どうやったらお金をもらえる人間になるのか。
どうやったら、身体も美しくいれるか?これについて集中して考えてました。
50歳にたとえば、自分がなったとき。
「37歳だったら、まだいいじゃないか。まだ遅くは無いよ」
と、思うかもしれません。
37歳ですよ。
もう、子どもに戻ることも出来ず、誰も頼れず、自分の知恵と力と
他人からのちょっとした助けを借りて、神を信じて生きていくしかないのでしょうね・・・・。
姉が「30代は、いやだ。苦しい。40になったら楽しいよ」と言ってました。
そうありたいなと思います。
わたしは、大変なのは十分承知で苦労に飛び込んでいきたい性分なのかもしれませんね(笑)