意外な趣味かもしれないけれど。
今となっては、信じてもらえないかもしれないけれど
私は結構ギャンブラーでした。
人生の博打というわけではなく、パチンコが大好きでした。
今は、まったく全然いきません。
お金もないし、いまの台の流行やスペックや出玉の少なさについていけないのです。
時間も
お金ももったいない!
というわけで、まるで違う人のようにギャンブルからは足を洗ったんです。
一番好きなのは、SANYOの「海」でした。
「海」の初代というか、そもそも「海」は、「ギンギラぱらだいす」の後継台だったと思うんですよね。
銀パラは、めちゃめちゃ出玉があったんです。
10カウントの16ラウンドで、玉がたとえ単発でも結構出たんですよね。
釘も、いい感じに開いてる台にあたったら最高です。
右打ちが苦手で、やらなかったのですが後継「海物語」ばっかりやってました。
「海」ファンは結構いると思うんです。
「魚群」がリーチ中の演出で出ると当たる確率が上がるので、
とっても興奮しました。
プレミアリーチが出ると、隣のおじさんとかも、「おお~」って言ってくれたり
隣のシマから、見に来る人もいたりとあのころは、和気あいあいとした
ホールだったんですけども。
等価交換の店で、そういう台が確変が続くとよかったですね。
私のころは、
「1玉=4円」だったので、1800発×4=7200円とかで
単発あたり1箱でも、その「やめ際」を間違えなければ「その日は勝ち」ですよね。
これが、確変だと2箱は固くもっていたいのでそれで、打ち止め。
粘ればその台はその後も出そうだなと思っても、2箱=14000円程度は守るようにしてました。
その台をやめて、ハイエナされても未練を持たず。がモットーでしたよ。
小池栄子さんの実家が経営している地元のパチ屋は、ほんと~~によく
行ってました。
エスパスで、勝った日は渋谷駅西口ガードしたにある久留米ラーメンやさんで
500円ラーメン食べて帰ったりしました。
楽しかったですよ。そんな生活でも・・・。
私が22歳くらいの頃です。
そんな生活もしてたんですね・・・。
いまでは信じられないけど。
たまに、あのころのように西口を訪れてみたいな。